和佐羅比神社~「ご縁日」

野田村と久慈市山根町の境にある、和佐羅比山(わさらびやま)は、南の男山(813.9m)と北の女山(774m)で構成されています。代々男和佐羅比山(おわさらびやま)には山神様、女和佐羅比山(めわさらびやま)には海神様が宿っていると伝えられ、旧暦の4月8日は「ご縁日」と呼ばれる例祭が行われていました。神とご縁のある日とされた「ご縁日」に参詣すると、普段よりもご利益(恵み・ご加護)があると信じられていました。
和佐羅比神社 ご縁日

 


野田村歴史の会
顧問 久慈竹蔵さん(左)と 事務局 吉田照夫さん(右)
【和佐羅比峠】

 

現在でも、旧暦の4月8日に和佐羅比神社で「ご縁日」が行われているという事で、野田村歴史の会 久慈竹蔵さんと吉田照夫さんに、案内をしていただきました。今年は5月25日でした。

 

 

例祭が行われている和佐羅比神社へは、まず車で男和佐羅比山と女和佐羅比山の間にある、和佐羅比峠まで行きました。「塩の道 和佐羅比峠」とある立札が目印で、両脇に灯籠がある道を進んで行きます。

 

 

 

 

和佐羅比神社 ご縁日

和佐羅比峠から2・3分歩くと、和佐羅比神社に着きました。

和佐羅琵山 ご縁日
かつては社殿があったそうですが、野火の為、焼失したそうです。
現在、和佐羅比神社には山神様、海神様の両方祭られています。

和佐羅比山 ご縁日

「ご縁日」では、神を崇める野田神楽の舞が行われ、毎年楽しみにしているお客様が訪れていました。

和佐羅比神社 ご縁日

和佐羅比神社 ご縁日

和佐羅琵山 ご縁日
和佐羅比山 ご縁日和佐羅比山 ご縁日

 

 

 

 

 

和佐羅比神社の別当である、山根町上戸鎖の小野寺さん
「子供の頃、この日は学校が終わってから道筋にあった祠(ほこら)を参詣しながら、ここにお参りに来ました。旧暦の4月8日は、毎年必ず大安吉日と決まっていて、縁起のいい日ですよ。」と教えていただきました。
和佐羅比神社 ご縁日

和佐羅琵山 ご縁日

 

敷地内に残されている かつての手洗い場

「近傍に並びなき霊山」として知られていた和佐羅比山は、その昔は何度も参詣すると御利益が大きいと伝えられていました。そのため「ご縁日」には北は八戸方面の諸村、南は下閉伊郡の諸村から多数の参詣人があり、たいへん賑わったという事です。

 

 

男和佐羅比山だけでなく、女和佐羅比山にも数多くあったという祠も、現在は2ヶ所だけになっています。歩く時の目印としていた祠、和佐羅比神社から約200m登ったところに1ヶ所、更に約200m離れたところにもう1ヶ所ありました。旧登山道は草が生い茂り、道が判らなくなっていました。
和佐羅比神社 ご縁日
和佐羅琵山 ご縁日

2ヶ所残っているうちの1つの祠

『野田民族誌』には
「明治大正のころは、祭日の4月8日に お山参り 登る者多く、社(やしろ)の周辺に煮しめ、濁り酒、飴、駄菓子などを商う者もあった。ことに出征兵士の家では、夫や子の武運長久を祈願するため女達が日本髪に着物の裾をはしょり、替えわらじを持って山を登った。」とあります。
また、「お山かけ」といって、和佐羅比山から鵜鳥(うのとり)神社へ替えわらじと弁当を持ってかけ参りをする者もあったと記されています。普代村の鵜鳥神社でも旧暦の4月8日に例祭を行っていますが、当時の人々は何十キロもの道程を1日で歩いて回っていたという事です。

歴史の会 久慈竹蔵さんは
「ご縁日にお参りすることで安心を得られ、そして人と出会えたり、普段食べられない物を食べたり、春を待ちかねていた人はこの日を楽しみにしていたと思う。昔の人は長い距離を歩くのは特別な事ではなかったからなあ。」と感慨深く話してくれました。

 

【地図】

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