のだ歴史散歩 第3回 遠見番所(御台場)

現在、野田村の野田港近くに整備された御台場公園は、かつて湊台場と呼ばれていた。台場とは、太平洋岸防備のため築かれた砲台のこと。幕末には、異国船打払令(1825年)が出された。このころは、外国船が日本周辺に多く迫っていた。
外国船を見張るための番所を遠見番所といい、幕府の命令で青森県野辺地から岩手県大槌まで遠見番所が10か所以上、33か所に盛岡藩などが砲台を築いた。南部藩が幕府に出した資料(1852年)によると野田村には、2か所に台場が設けられ、偽物ではなく性能の落ちる砲などが使われた。野田浦警備管区の範囲は、久慈市三崎地区から岩泉町小本地区の沿岸だった。
海上警備員が配備されたほか、敵などの侵入を防ぐために築かれた土製の堤防壁である土塁が作られ、大砲、火薬庫、詰め所があった。海上警備員を配備した旨の届け出が1808年盛岡藩から幕府に出され、野田浦には148人が配備された。海上警備員は、兵隊が陣屋や台場で任務をしたほかに臨時雇用として一般庶民のうち健康な成年男子が兵隊の雑役をした。
野田浦の海防配備は、鉄砲、隊長・組頭、弓、長槍、歩兵、軍旗か標識、伝令、総司令、火薬士、ラッパ手などで構成されていた。海外からの船が、岩手県洋野町中野沖に現れた時には沼宮内通(現在の岩手県岩手町)や福岡通(現在の岩手県二戸市)から野田浦へ警備増員の準備がされた。「通」とは、代官所の統治区域を指し、独特な行政組織としての「通制」は盛岡藩と八戸藩で用いられた。
御台場公園内には、諏訪神社がある。この神社は、狩猟神、農業神として信仰されている。また、石碑には「海上安全」と記載から漁業者からの信仰もあった。

【野田港側にある階段をあがると御台場公園】
御台場公園(500)

【東屋などが整備されている】

高台から野田港(500)

神社(500)石碑(500)

説明板(500)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【左上:御台場公園から野田港をながめる】【右上:諏訪神社の鳥居】
【左下:石碑には海上安全の文字が】【左下:遠見番所(御台場)の説明表示】
<アクセス>:三陸鉄道陸中野田駅から県道217号線を野田港に向かい、車で約4分。

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