のだ歴史散歩 第2回 無量山 海藏院

海藏院は今から390年前の寛永元年(1624)に開かれた曹洞宗の寺院です。

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開基は戦国武将野田氏の13代南部藩宇部館主薩摩守源則武、開山は宮古市津軽石瑞雲寺六世本室寿宗和尚で、ここから海藏院の歴史が始まると思われましたが、さらにもっとさかのぼることになります。

【安元元年(1175)小松内大臣平重盛は上総太郎讃岐法印を派遣して、中国の宋の阿育王山に黄金三千両を贈り、平家の安泰を祈願しました。その後、讃岐法印は阿育王山霊隠寺の珊光国師東陸永璵和尚と共に帰朝の途中大しけに遭い、野田港長根浜(大唐の倉)に漂着しました。しかしその時既に重盛は没し平家は滅亡していたため、上洛をあきらめた国師らが一寺を建立し重盛の冥福を祈りました。】という伝説により、海藏院の前身の臨済宗小松寺は文治2年(1186)に開基平重盛、開山珊光国師によって、無量山の麓を切り開いて創建されたと伝えられています。

 

平成17年に先代(15代)の33回忌を記念して建てられた山門(建物下部)

 

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後開基野田家当主歴代の墓(右端が則武氏の墓)

天正時代には南部藩屈指の勢力であった戦国武将野田一族の菩提寺となっています。
野田氏は天正20年(1592)野田城が豊臣の命により破却された後、新館宇部館に移りました。
その後館を守護するように街づくりを行い、海藏院と守護神として愛宕神社を築いていきます。

 

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前開基平重盛(左)と前開山珊光国師(右)の供養塔

平清盛の法名「証空国師」と「前開祖珊光国師唐阿育王山リンイン寺ヨリ来ル 現住十世実仙代」と刻まれた石碑(室町期)が寺山の頂上にあります。
「この辺りの集落の人たちは、国師や讃岐法印の教えにより安心立命の道に導かれたことであろう」と伝えられています。

 

 

 

 

 

本堂                    本堂大間

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明治32年(1899)1月5日の火災により前本堂他すべてを焼失してしまいましたが、明治34年(1901)に現本堂を再建しました。

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平成14年に道元禅師(曹洞宗の開祖)750回忌を記念して建てられた鐘楼堂

大晦日には檀家さんに開放され、毎年2時くらいまで鐘の音が響きます。

 

 

 

 

 

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福盛田勝彦16代住職
東日本大震災の津波をのがれようと愛宕神社を経由して避難してきたおよそ120名の方と約2ケ月間過ごしました。しばらくはろうそくの火で明かりを灯し、井戸の水を使用して生活しました。今回の震災で26名の檀家さんがお亡くなりになりましたが、その時十分にお手伝いができなかった事を残念に思っています。

 

(明治29年(1896)6月15日の明治三陸地震の大津波では466名の檀家さんの尊い命が奪われたそうです。)

 

井戸                      六地蔵尊

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近隣の曹洞宗の青年会では震災以降ほぼ毎月11日に慰霊行脚、復興祈願として巡礼を行っています。また岩手県曹洞宗青年会も被災地慰霊行脚、復興祈願を行っています。

海藏院 住所:岩手県九戸郡野田村大字野田26-27

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